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東京・下町といえば浅草!と誰もが思い浮かべるでしょうか?!
浅草寺の門前で育まれてきた歴史と伝統
「粋」
江戸の昔から流行の最先端、様々な庶民文化を発信してきた街
そして食通に愛されてきた、食文化の街
江戸情緒と人情味あふれる浅草の味をご紹介します
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明治、文明開化とともに牛鍋屋が流行しました。その中心は下町、浅草でした。
明治の東京で牛鍋と呼ばれてきた料理は、関東大震災後、
鋤の刃上で鳥や獣の肉を焼いたことに由来する「すきやき」という関西風の呼び名に変り、
今日に至っています。関東風の割り下で牛肉を煮込むという調理法は、
明治時代に流行した牛鍋がベースになっているようです。
多くのすき焼き屋が浅草にはありますが、
甘め、辛め、割り下にそれぞれ独自の味が息づいています。
ちんや
浅草今半
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どじょう鍋は江戸時代に下町・浅草で発祥し、今も下町の名物料理です。
どじょうを開かずにそのまま使い、大量のねぎと一緒にいただく「丸鍋」。
どじょうを背開きにしてごぼうと一緒に調理した「ぬき鍋」。
開いたどじょうと笹掻きにしたごぼうを味醂と醤油の割下で煮て鶏卵で綴じる「柳川鍋」。
どじょうは臭みが全くなく柔らかで、どれも味わい深い江戸の味ですが、
丸ごと骨までいただく「丸鍋」が一番のおすすめです!!!
駒形どぜう
どぜう飯田屋
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浅草には釜飯のお店が多くあります。
浅草と釜飯の関係ですが、Yahoo百科事典によれば、
「関東大震災(1923)直後の焼け跡で、ありあわせの釜で炊いた飯を、釜からじかに、
または器に移して食べた人が多かった。これにヒントを得て、まもなく1人前用の小さい釜を用意して
種々の変わった具を入れて炊くのを釜飯と称するようになった」とあります。
浅草は、関東大震災の被災地でしたので、そこから釜飯も誕生したのでは?と思われます。
復興と明日への希望、幸せへの願いが、釜飯に込められていたのかもしれません。
元祖釜めし 春
関東大震災の翌年の創業の老舗です
麻鳥
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昭和の頃、東京下町では、
駄菓子屋さんの奥にもんじゃ焼きの鉄板がありました。
焼くときにタネで文字を書いて遊んだことから「文字焼き」と呼ばれ、
「もんじ焼き」これが「もんじゃ焼き」となったとの説もあります。
実は、浅草近辺がもんじゃ焼きの発祥地であるとも言われています。
六文銭
つくし
こばやし
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浅草には、洋食屋もとても多くあります。オムライス、カツカレー、
ビーフシチューなど、昭和レトロ?ハイカラ?な味が魅力です。
洋食 ぱいち
ビーフシチューがおすすめです
モンブラン
鉄板焼きハンバーグのお店
グリルグランド
創業60年、浅草の隠れ家的洋食レストラン
元祖やきかつ 桃タロー
揚げていないカツだから「焼カツ」!
風変わりなところではロシア料理の名店もあります。
マノス
ラ・ルース
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浅草寺の参拝の後は、ちょっと甘いもので一休み
梅むら
みつまめよりもシンプルな和スイーツ「豆かん」の老舗
梅園
餅の多少の渋みと、あんの甘味、香りが調和した味わい
「あわぜんざい」がおすすめです
舟和
芋ようかん、あんこ玉で有名ですが、
実は、「みつ豆」を現在の形で提供した元祖のお店
金龍山浅草餅本舗
浅草仲見世で一番の老舗、「揚げまんぢゅう」がおすすめ
木村屋本店
浅草にちなんだ五重の塔・雷様・提灯・鳩の四つの型の「人形焼」
紀文堂総本店
門外不出のカステーラ式製法の「人形焼」です
和菓子処 おがわ
どら焼き
亀十
どら焼き
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くちょんまげ頭に天秤棒の屋台をかついで浅草寺の周辺で売り歩き
運がよければ、会えます?!
「よもぎあんこの浅草焼き」は1個200円
抹茶を練り込んだよもぎあんを柔らかい皮で包んだ和菓子です
伝法院裏、浅草公園通りは、通称、「煮込み通り」「ホッピー通り」と呼ばれていて、
ランチタイムからホッピーや温かいモツ煮などを頂ける大衆酒場が軒を連ねています。
お昼から、外テーブルで開放的に飲めるもの下町ならではの風景?!
浅草 大衆酒場 岡本
居酒屋 とん平
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